藤本敏夫(ふじもと としお)

藤本敏夫 著、加藤登紀子 編「農的幸福論―藤本敏夫からの遺言」(家の光協会、2002年12月1日 第1版)より

1944年1月23日 兵庫県甲子園に生まれる。
1963年 新聞記者を志して、同志社大学で新聞学を専攻。
1964年 大学二年のとき、学生運動に参加
1965年 京都府学連書記長に選ばれる。
1967年 羽田闘争を機に上京、明治大学を拠点に活動。
1968年7月 三派全学連委員長となる。
1968年10月21日 国際反戦デー防衛庁抗議行動などにより、11月7日、逮捕。69年6月まで拘留。
1969年7月 内ゲバ激化に反論、学生運動から離脱。
九州・平戸に滞在。地球と人間の問題を考察。
1970年 日本キューバ文化交流研究所事務局長に就任。
1972年4月21日 学生運動関連で実刑判決を受け下獄。
1972年5月6日 獄中で、歌手・加藤登紀子と結婚。
1972年12月7日 長女 美亜子 誕生
1974年9月 栃木県黒羽刑務所から出所。
1975年12月14日 次女 八恵 誕生。
1976年3月 「大地を守る会」会長に就任。有機農業の普及に邁進。
1977年11年 有機農産物および無添加食品などの流通法人「株式会社 大地」を設立、代表取締役に就任。
1980年4月12日 三女 美穂 誕生。
1981年 千葉県鴨川市嶺岡山中に移住。農事組合法人 自然生態農場「鴨川自然王国」を設立。代表理事に就任。里山の多目的利用を推進。
1981〜1982年 水と土の会 全国トークライブを開催(加藤登紀子と共に)。
1985年 「株式会社ネフコ」を設立。代表取締役に就任。地球納豆倶楽部を企画。ナットーインターナショナルのコンセプトで納豆を通したグローバルな環境問題を提起。
1987年5月 鴨川自然王国にて結婚15周年パーティを開催。
1992年 政党「希望」を設立。参議院議員選挙比例代表に立候補。落選。
1995年 農産物需給研究会(GLS)を設立。農産物流通業者と共に有機農業物の流通拡大を志向。農産物流通の研究・情報交換行う。
1997年 株式会社 農業食品監査システム(AFAS)を設立。農業経営に環境管理システムを導入。
1999年 農林水産省関東農政局 諮問委員に就任。持続循環型農業の普及方法を提言。
1999〜2000年 「土に生きる」トーク&ライブを全国12カ所で開催(加藤登紀子・Yaeと共に)。
2000年3月 全国の青年農業者・流通団体などの協力のもと、参加者千人を超える持続農業推進全国集会を開催。
2000年8月 「株式会社 ナチュラルコミュニケーションズ」を設立。代表取締役に就任。
「自然王国」ブランドによる新しいライフスタイルを提案。
2001年6月 持続循環型社会の推進母体 IRM研究会を設立。代表に就任。
2002年5月 農業の復活と都市生活の活性化を図るため、農林水産大臣に建白書を提出。
2002年7月31日 死去(享年58歳)

藤本敏夫さん死去、58歳=歌手・加藤登紀子さんの夫(毎日新聞、2002年8月1日)

生活習慣病を考える会のHP内のメンバー紹介

代表世話人 藤本敏夫

顧問紹介
恒川博 東海ホリスティック医学研究所
伊東弘泰 日本アビリティーズ協会代表
矢谷暢一郎 ニューヨーク州立大学教授

奥田拓道 監修、生活習慣病を考える会 著「糖尿病の新知識 富士山の偉大な恵み―高濃度バナジウム・イオン水が示すインスリン様効果の徹底検証!」(現代書林、2002年6月27日 出版)

藤本敏夫 著「希望宣言」(ライトプレス出版社、1992年7月10日 初版)より

1944年1月、兵庫県に生まれる。新聞記者を志望して、同志社大学で新聞学を専攻。大学2年のとき学生運動に参加。京都府学連書記長を経て、68年全学連委員長。学生運動関連によって有罪判決を受け、72年春入獄。栃木県黒羽刑務所で「構内清掃衛生夫土工」として服役。獄中で歌手の加藤登紀子と結婚。出所後、「大地を守る会」で無農薬・有機農業の普及のため、全国を巡回。83年に「にわとり・くらぶ」を設立。86年11月、自然王国運動を提案し、千葉県鴨川市嶺岡山中に農場を開設。農事組合法人「鴨川自然生態農場」代表理事、鴨川自然王国代表となる。89年「地球納豆倶楽部」を設立。納豆の普及に乗り出す。92年『希望』を設立。

《166〜167ページ》
そのドクター・ゲルソンの医療法を日本に紹介したのが、私たちの仲間のひとりで医事評論家の今村洸一さんでした。
今村さんも房総に住んでいて、組合事務所からそれほど遠くないので、よくおつき合いしていたのです。
その彼から、
「日本でも食養内科というのがあって、食事でガンを治すことをやっている病院がある。ところが、そこの先生の話だと、病院での食養を受けている人、とくにガンの人に提供する食材がない。だから鴨川自然生態農場で作ったらどうか」
というお話があって、うちの組合が受けたのです。

藤本敏夫 著「やまももの樹に抱かれて―母と子の自然王国」(冬樹社、1988年3月18日 発行)より

1944年1月、兵庫県で生まれる。新聞記者になりたくて同志社大学で新聞学を専攻、二年生より学生運動に参加。京都府学連書記長の後、68年全学連委員長になり、68年、69年は半分留置場で過ごす。
70年、日本キューバ文化交流研究所の事務局長となり、キューバでの砂糖キビ刈り運動を実施したが、学生運動関連で有罪判決のため72年春入獄、栃木県黒羽刑務所で「構内清掃衛生夫土工」として服役。獄中で歌手の加藤登紀子と結婚。出所後、「大地を守る会」で無農薬有機農業の普及のため、全国を巡回する。83年「にわとり・くらぶ」を設立する。86年11月、自然王国運動を提案し、現在に至る。農事組合法人「鴨川自然生態農場」代表理事。鴨川自然王国代表

西丸震哉、藤本敏夫 著「不健康長寿国ニッポン」(家の光協会、1986年7月1日 第1版)より

1944年生まれ。刑務所体験を契機に有機農業に関わる。1976年「大地を守る会」を始め、83年には「にわとり・くらぶ」を設立。現在、農事組合法人「鴨川自然生態農場」代表理事。著書に「人は昔、さかなだった」(ダイヤモンド社)がある。