井上真(いのうえ まこと)

井上真 著、北川フラム 発行「戦争と鍼灸―ニカラグアのいのちの革命」(現代企画室、1988年7月19日 初版)より

1944年、中国東北州(旧満州)に生まれる。仙台二校卒業後、曹洞宗輪王寺に入門。早大に学び、卒業後キューバに2年滞在。1981年、中国へ鍼灸留学。1982年、鍼灸師として西ベルリンで治療活動。この間、ヨーロッパ各地、アラブ・アフリカ諸国、南米アマゾン地区を訪問し、各地で鍼灸自然医学セミナーを開く。1985年、ニカラグアへ旅行。そのまま、医師として働き始め、現在に至る。

瀧井宏臣 著「ドクトル・アトムの魂―自然病院村の夢と挑戦」(第一書林、1995年5月25日 初版第1刷)より

《表紙》
鍼灸、薬草、快医学、Oリングテスト、尿療法―長い内戦で荒廃し混乱が続く中米ニカラグアの地で、ひとりの日本人が続けてきた試行錯誤は、先端医療というフィクションの中で生きているわたしたちの足元を照らしている。

序 アトムの魂
(略)
1993年の夏。私はひとりの日本人に会うために、ニカラグアの首都マナグアの国際空港に降り立った。 ニカラグアを訪ねたのは、ほんの気まぐれからだった。
アジアからアフリカへと「地獄めぐり」と称した旅を続けていた私は、アフガニスタンに入る前に、ふと中米に足を伸ばすことにした。三年前、地球一周の船旅で遭遇したその日本人の鮮烈な印象が、脳裏に焼き付いていたからだ。(略)
その人が、現地でドクトル・アトムと呼ばれる井上真だった。
(略)
そんな矢先、私自身がニカラグアで病に倒れてしまった。旅は断念せざるを得なくなった。そして幸か不幸か、アトムが実践している自然医療を自分の体で試すことになった。きっと何かの縁があったのだろう。一週間のつもりで訪れたニカラグアで、私はその後一年近くにわたり、アトムの助手として働くことになった。
(略)

《89ページ 写真のキャプション》
▲ワークショップで、Oリングテストをつかって農民を診断するアトム。農民の手の平に薬や食品を乗せ、助手の指が開くか開かないかで、その薬や食品が病気に効果があるかどうかを調べる。かねてから親交のあった瓜生良介によって知ったOリングテストは、尿療法とともにアトムの医療活動に転機をもたらした。鍼灸に出会ってから13年目のことだった。

《131ページ 写真のキャプション》
瓜生良介。アングラ演劇の演出家として磨き上げられたその眼光は今、人々のからだに向けられている。東京・高円寺の診療室を根拠地に、快医学を伝えるためのセミナー活動を世界各地で展開する。

《132〜133ページ》
大村恵昭の挑戦
自然医療センターが診断のかなめとしているのが、Oリングテストだ。

《143ページ 写真のキャプション》
▲Oリングテスト、別名オオムラテストを開発した大村恵昭。ニューヨーク心臓病研究所所長、シカゴ医科大学教授などを兼任する。現代医学の最先端で仕事をしながら、その常識をくつがえすような緻密で独創的な研究活動を続けている。
▼日本の「ミスター尿療法」、中尾良一。80歳を越えた現在も、MCL研究所(ミラクル・カップ・オブ・リキッド)所長として尿療法の普及に努めている。若さの秘訣はもちろん、朝一杯のおしっこだ。

追記 いのち・生かされてあること
(略)
1993年の夏、自然病院村に来てまもなくのことだった。私はアトムの助手をしていて、立てなくなった。発熱し、下腹部がしくしくと痛かった。自分で立てなくなった、生まれて初めてのことだった。
夕方、患者の診察が終わったあと、アトムの診断を受けた。
アトムはいつものように、声を出しながら全身の異常箇所と病理をくまなく調べ、薬草や食品を選んだ。
アトムの診断によると、細菌の感染によって引き起こされた免疫力の低下により、大腸や胃などに腫瘍を含めた異常が出ているということだった。もし、ガンの反応が出ていたら教えてほしいというと、アトムは黙っていた。重ねて教えてほしいと言うと、大腸からガン反応が出ていると言った。
一瞬、頭の中が白くなった。
私は、言葉を失った。
自然医療センターでアトムの助手として何人もの重病患者に接していたとはいえ、旅先でガン宣告を受けるとは思わなかった。
アトムは一応ガン反応が出ているので、最も効果のある治療をした方がいいと言った。それで、一日二リットルの薬草茶と二リットル以上のオリン(スペイン語で尿のこと)を飲み、あわせて一週間の断食をすることになった。「尿断食」と呼ばれる方法だ。
(略)
ちょうと14日間の尿断食を終えて、私はアトムの三回目の診断を受けた。
その結果、全身に出ていた反応はすべて消え、からだの免疫機能は正常に戻っていた。つまりOリングテストによる診断では、治ったあるいは治癒の目処がだったことになる。(略)
アトムは、いつものように「グランビクトリア」(大勝利)と言って、笑顔で祝福してくれた。
一時帰国して、精密検査を受けたところ、すべて「正常」だった。これによって、私が実際にガンだったかどうかを医学的に証明することはできなくなったが、病気の状態でないことは確認された。
(略)

あとがき
今年の一月、アトムがニカラグアに来て、ちょうど10年が経った。
アトムは今、50歳。
元全共闘の闘士は、ただひたすら走ってきた。(略)
また記録をつくるにあたって、山本善生やアンヘリカ、ドクトル・チャンコをはじめとした自然病院村の関係者の方々、ニカラグア自然病院村を支援する会の増田明子会長や藤沢泰二氏、玉田久良氏、太田昌国氏、大島人実・田口純夫妻らメンバーの方々、その他、かつての支援団体のメンバーら大勢の方々にお世話になりました。
敬愛する先輩で編集者の大江正章氏をはじめ、自治労本部の島田恵司氏、我が盟友でNHKディレクターの大槻悟、成蹊大学助教授の小原隆治、それに瀧井宏一・君枝夫妻には、つたない原稿を読んでもらい、いろいろなアドバイスをいただきました。
最後になりましたが、第一書林の山岸秀雄社長と担当編集者で研究員の柴尾智子さんは、一端挫折しかかったこの記録の出版を快く引き受けてくださり、こうして無事、世に出る運びとなりました。
以上の方々に、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
1995年春 瀧井宏臣