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三橋辰雄(みはし たつお)

あるポスターより

2003年 4/5(土)チャリティコンサート 歌と踊りの夕べ
銀座ガスホール
開演 PM 6:00
 前売 2,500円 当日 3,000円
主催 荒野座公演実行委員会
後援 日本ボランティア会・日本新聞社・緑フォーラム文芸局
※この公演の純益は全て日本ボランティア会に寄贈されます。

遊撃インターネットより

街頭募金野郎の謎(葉寺覚明)

三橋辰雄 著「太陽の道」(太陽への道社;星雲社〔発売〕、2001年3月12日 出版)

三橋辰雄 著、対馬テツ子 発行「緑の革命(三)」(太陽への道社;星雲社〔発売〕、1994年6月25日 初版)より

1923年 青森県西津軽郡館岡村に生まれる
1944年 応召、盛岡工兵隊入隊
1945年 軍事捕虜としてカムチャッカに行く
1947年 召集解除
1950年 青森県越水中学校教諭
1957年 合同歌集“点”出版
1963年 読売全日本つづり方コンクール第1位
    文部大臣賞受賞「北風の歌」
    全日本リード合奏コンクール
    NHKテレビ全国放映
1966年 修道小いちょう学級NHKテレビ全国放映
1972年 日本テレビ全国放映 圭三訪問「オラの先生は日本一」
1973年 デーリー東北紙に「こころに夜はない」連載
1974年 日本版画協会最優秀賞受賞
    朔人社「私たちにとって原子力は」出版
1977年 全国へき地教育学校賞受賞
    TBSテレビ全国放映「ぼくらチャンピオン」
現在 文化研究所所長・芸術学院長

主要論文及び著作
「北風の歌」「みい子さんは歌った」
「第三のヒューマニズム」「私達にとって原子力は」
「教育とは何か─母と子と教師と─」「ビヘイビア」
「こころに夜はない」「三橋辰雄提言集」「白の革命」
「闇からの脱出・上、下」「新プロレタリア小説集 ひとつの火」
「草の実版画集むつの海を守る人々」「青の革命」「緑の革命(一)」
「集団学習法研究(一)みんなはひとりのために」「緑の革命(二)」

あとがき
イシカホノリ、これは何千年も津軽の国に伝わった神の言葉である。宗教についてわたしは全面否定はしていない。ただ仏教やキリスト教、回教のように、時の権力者、支配者と深く結びついて非道をほしいままにして来た宗教や現にしている宗教については認めることは出来ないと言っているのである。
もともと男性は遺伝子Xがひとつであるから、すぐパラダイスになり易い。Xがひとつだということは、自分の内部において自己批判心が起きて来ないからである。だから自分は何者であるのかと自らに問うことはないのである。
男性のもうひとつの遺伝子Yは、それ自体としては作用をおこさず、女性を尊敬する、愛する、連帯する等の共同意識が起こらなくては無能力遺伝子なのである。Y遺伝子の作用する対象は何も女性に限ったことではなく、それがこどもでも文化であっても作用を開始するが、その作用(右脳の活動)の起因はあくまでも右脳に深く本当に感動を与えたもの以外はすべて嘘なものであり、一時的でしかないのである。だから男の行動の多くは一時的であり、直進的であり、情熱的でさえあるのである。そして常に二面的な行為によってその人生がいろどられるのである。
(略)
ところが女性の遺伝子はXが二つあり、この遺伝子は互いにコントロールし合っている、始末が悪い。
ひとつの遺伝子があの男は足が長いからいいと結論を出すが、もうひとつのXはあの男について行っては食われないと結論を出して、二つの結論は互いにゆずらず、その結果本人はいつまでも決断できず、遂にぐずぐず女となり、右脳は働かなくなるのである。
男の場合は“食われなくなるぞ”というシグナルを発するX遺伝子がないのだから、女性のX遺伝子の電波を探知するより仕方がないのである。
(略)
日本の社会の男性支配は戦前までは女性に対する幼児からの栄養不足によってもうひとつのXの活動を阻害して来た。その上に女大学やお茶やお花、着物と、精神的にも物理的にもXが二つ働く場がなかったのである。
日本社会に重くのしかかった貧困は一応姿を消した(実際ではない)。これから女性に必要なのはイシカホノリである。わたしはそのことを“緑の革命”とよんでいる。
良く読んでくれました。
ありがとう。
1994・5・16
三橋辰雄

三橋辰雄 著、対馬テツ子 発行「緑の革命(二)」(太陽への道社;星雲社〔発売〕、1993年12月20日 初版)より

1923年 青森県西津軽郡館岡村に生まれる
1944年 応召、盛岡工兵隊入隊
1945年 軍事捕虜としてカムチャッカに行く
1947年 召集解除
1950年 青森県越水中学校教諭
1957年 合同歌集“点”出版
1963年 読売全日本つづり方コンクール第1位
    文部大臣賞受賞「北風の歌」
    全日本リード合奏コンクール
    NHKテレビ全国放映
1966年 修道小いちょう学級NHKテレビ全国放映
1972年 日本テレビ全国放映 圭三訪問「オラの先生は日本一」
1973年 デーリー東北紙に「こころに夜はない」連載
1974年 日本版画協会最優秀賞受賞
    朔人社「私たちにとって原子力は」出版
1977年 全国へき地教育学校賞受賞
    TBSテレビ全国放映「ぼくらチャンピオン」
現在 文化研究所所長・芸術学院長

主要論文及び著作
「北風の歌」「みい子さんは歌った」
「第三のヒューマニズム」「私達にとって原子力は」
「教育とは何か─母と子と教師と─」「ビヘイビア」
「こころに夜はない」「三橋辰雄提言集」「白の革命」
「闇からの脱出・上、下」「新プロレタリア小説集 ひとつの火」
「草の実版画集むつの海を守る人々」「青の革命」「緑の革命(一)」
「集団学習法研究(一)みんなはひとりのために」

青森県むつ市奥内小学校二又分校 制作、三橋辰雄、三橋京子 指導「むつの海を守る人々―草の実版画集 原子力船「むつ」との闘いを見つめた子供たちの作品」(太陽への道社;星雲社〔発売〕、1991年11月30日 初版)より

推薦者:
緑の党党首 対馬テツ子
民族歌舞団荒野座座長 高田亮子

あとがき
民族民主教育の会事務局長 野呂恵子

三橋辰雄 著、対馬テツ子 発行「太陽への道No.7 俘虜記 闇からの脱出 カムチャッカ物語(上)」(太陽への道社;星雲社〔発売〕、1990年4月 初版)より

1923年 青森県西津軽郡館岡村に生まれる
1944年 応召、盛岡工兵隊入隊
1945年 軍事捕虜としてカムチャッカに行く
1947年 召集解除
1950年 青森県越水中学校教諭
1957年 合同歌集“点”出版
1963年 読売全日本つづり方コンクール第1位
    文部大臣賞受賞「北風の歌」
    全日本リード合奏コンクール
    NHKテレビ全国放映
1966年 修道小いちょう学級NHKテレビ全国放映
1972年 日本テレビ全国放映 圭三訪問「オラの先生は日本一」
1973年 デーリー東北紙に「こころに夜はない」連載
1974年 日本版画協会最優秀賞受賞
    朔人社「私たちにとって原子力は」出版
1977年 全国へき地教育学校賞受賞
    TBSテレビ全国放映「ぼくらチャンピオン」
現在 文化研究所所長・芸術学院長

主要論文及び著作
「主観主義と客観主義」
「誤りのない行動をするにはどうしたらよいか」
「闇からの脱出」「文芸の生命」「北風の歌」「みい子さんは歌った」
「第三のヒューマニズム」「私達にとって原子力は」
「教育とは何か─母と子と教師と─」「ビヘイビア」
「こころに夜はない」「三橋辰雄提言集」「白の革命」

飢餓と酷寒のシベリア抑留生活は、三橋氏に生きることの厳しさを教えた歳月であった。
侵略戦争に狩り出され、ソ連軍の捕虜として三年八カ月をシベリアでおくる。“いつダモイ、いつダモイ”いつ日本に帰れるかと、そればかりを考えたという。何度も死に直面しながらも、“生きて帰る、帰って劇場をつくる”これが三橋氏を支えたのであった。

三橋辰雄 著「母と子と教師と─オラの先生は日本一」(リサーチ出版、1973年7月20日 初版)より

三橋辰雄(みつはし たつお)
1924年、青森県西津軽郡大造町に生まれる。1945年小学校、中学校教師として勤務する。
現在 青森県むつ市奥内・奥内小学校二又分校に勤務。
歴教協会員、全国生活指導研究会員、日本作文の会地方委員、青森県作文の会副委員長、教育研究<あすなろ>の会主宰。
編著 「北風の歌」、「みい子さんは歌った」(共に明治図書刊)
共著 「点」(歌集)、「学級づくりの新設計」、「集団づくりと遊び」、「生活指導と学級経営」(明治図書)
昭和37年 読売つづり方コンクール高学年の部第一位
昭和37年 つづり方コンクールにて学級30名文部大臣賞受賞
昭和38年 全日本リード合奏コンクール特別賞
昭和47年 全国美術展図画特選
昭和47年 全国版画コンクール最優秀作品賞
昭和47年 全国版画コンクール分校児童全員入賞

ここに本物の教育が ─序にかえて─
(略)
私は、短い時間だったが、二又分校の子ども達は親や教師のためでない、すべて自分の気持ちから勉強し行動する姿を見て感激した。 三橋先生夫妻が赴任してわずか一年、教育はこんなにも早く、子ども達を変えるものなのだろうかと、おそろしい程であった。
(略)
1973年7月 高橋圭三