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財団法人氣の研究会 宗主
1920年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。
幼少の頃より肋膜炎にかかるなど病弱だったため、強い心と身体を求めて、坐禅や神道の「みそぎ」の呼吸法を修行。19歳から合氣道を学び、後に最高段位10段を得る。終戦後は統一道を説く中村天風に師事し、ただひとり「三つの試験」に合格したことにより、すべてを許される。
1953年から頻繁にアメリカ・ヨーロッパに渡り、氣の原理と合氣道の普及に尽力する。1971年、「氣の研究会」を組織し、以後、氣の原理と心身統一合氣道の普及に努める。現在、国内3万人、海外17万人の会員を持つ同会の宗主。企業向け、個人向けに「氣」の指導を行っている。
スポーツ各界の有名選手に氣を指導してきたことでも知られるが、王貞治選手の一本足打法の指導、広岡達朗、長嶋茂雄への氣の指導、千代の富士の脱臼をみるなどは、つとに有名。国内外でベストセラー書を多数執筆。
なお、「氣の研究会」は、日本で唯一、氣の専門機関として、厚生省にから財団法人として認可されている。
1920年生まれ。慶應義塾大学卒業。
幼少のころより肋膜炎にかかるなど病弱だったため、強い体と心を求めて、座禅や神道のみそぎの呼吸法を修行。19歳から合氣道を学び、のちに最高段位10段を得る。1953年から頻繁にアメリカ・ヨーロッパに渡り、合氣道の普及に尽力する。
1971年、「氣の研究会」を組織し、以後、心身統一道、氣の原理普及に努める。現在、国内3万人、海外17万人の会員を持つ同会の宗主として、企業向け、個人向けに「氣」の講習を行っている。スポーツ各界の有名選手に氣を指導してきたことでも知られるが、王貞治選手の一本足打法の指導、千代の富士の脱臼を看るなどは、つとに有名。
なお、「氣の研究会」は、日本で唯一の氣の専門機関として厚生省により財団法人として1977年に認可されている。
著書は『成功の秘訣は氣にあり』『幸福の秘訣は氣にあり』(ともに東洋経済新報社)など多数。
■1920年、1月20日東京、下谷に生まれ、3才の時郷里、栃木県に帰る。幼少のころは、身体が非常に弱く、常に医者の世話になり、これを心配した柔道四段の父親の手ほどきで、柔道を始め、少しずつ丈夫になる。14才で黒帯を許される。
■16才のとき、慶應義塾大学の予科に入学。柔道に情熱を燃やしたが、練習過多のため肋膜炎になり、一年間休学を余儀なくされた。病は人を賢明にするというが、静養中、おのずといろいろ自省する機会に恵まれ、自己の身体はもちろん、心が如何に弱いかを痛感する。病後、如何にして強い心と身体を得んものと、禅やみそぎの呼吸法などを懸命に修行する。
■禅を京都大徳寺管長、太田常正老師に学び、みそぎを山岡鉄舟高弟小倉鉄樹先生及び、その後継者、日野正一先生に学ぶ。
■19才、植芝盛平先生に入門、合氣道を学ぶ。(昭和44年1月。最高段位拾段をゆるさる。)
■23才、慶応大学卒業と同時に、宇都宮東部36部隊に入営し、豊橋予備士官学校を卒業。(教育総監賞を授与される。)小隊長となって中支に派遣され、軍隊生活四年間をおくる。弾丸雨飛の中で、スポーツの試合と実践の場が如何に異なるかを身をもって体得する。試合は生命に別状ないが、実践では、寸刻の氣のゆるみが死を意味する。このとき、臍下の一点に心をしずめる秘訣を会得する。
■終戦後再び禅、みそぎ、合氣道の修行に打ち込むかたわら、音羽の護国寺で統一道を説いて居られた中村天風先生に師事する。
■1953年より1982年の間に28回渡米及び渡欧し、「氣の原理」及び「合氣道」を普及する。
■1971年9月、国内に「氣の原理」を普及するために「氣の研究会」を創立する。
■1974月、氣の原理に基く、合氣道の必要性を強く感じ、「心身統一合氣道会」を創立する。
■1977年厚生省より国民の健康に寄与することを目的とした財団法人を認可され、財団法人氣の研究会となる。
■1980年1月、各家庭に於いて誰でもたやすくできる「氣の原理」に基く「鎮心の行」「籐平式氣の呼吸法」「氣圧療法」を普及するため、「氣の実践会」を創立する。
■1980年4月、自己の健康管理のための方法として、氣圧療法を確立し「氣圧療法学院」を創設する。(修学期間は二ヶ年。)
■1983年4月、心身統一合氣道会の指導者養成機関として合氣道学院を創設する。(修学期間は二ヶ年。)
■1990年10月、栃木県芳賀郡市貝町大字赤羽に、財団法人氣の研究会総本部会館及び研修所宿泊設備を建設する。
1920年栃木県生まれ。慶應義塾大学卒業。
年少のころより肋膜炎にかかるなど病弱のため、強い体と心を求めて、座禅や、神道の禊の呼吸法を修業。19歳のときから合氣道を学び、高段位10段を得る。1953年渡米、ハワイをはじめ20州に合氣道を普及する。
1971年「氣の研究会」を組織し、以後心身統一道・氣の原理普及に努める。現在、国内3万人、海外17万人の会員を持つ同会の会長。栃木の総本部を中心に、企業向け、個人向けに「氣」の講習を行っている。
スポーツ各界の有名選手に氣を指導してきたことでも知られるが、王貞治選手の一本足打法の指導、千代の富士の脱臼を看るなどは、つとに有名。最近では阪神タイガースの中村監督、コーチ、若手選手らに心身統一法など氣を指導。阪神が最下位から奇跡の大躍進を遂げた原動力となった。
第5章 <座談会>「氣」が私を変えた
出席者 広岡達朗、長嶋茂雄、王貞治、藤平光一
■1920年、1月20日栃木県に生まれる。
幼少のころは、身体が非常に弱く、常に医者の世話になり、これを心配した柔道四段の、父親の手ほどきで柔道を始め、少しずつ丈夫になる。15才で黒帯を許される。
■16才のとき慶応義塾大学の予科に入学。柔道に情熱を燃やしたが、練習過多のためか肋膜炎になり、一年間休学を余儀なくされた。病は人を賢明にするというが、静養中、おのずといろいろ自省する機会に恵まれ、自己の身体はもちろん、心が如何に弱いかを痛感する。病後、如何にして強い心と身体を得んものと、禅やみそぎの呼吸法などを懸命に修行した。
■禅を京都大徳寺管長・太田常正老師に学び、みそぎを山岡鉄舟高弟・小倉鉄樹先生及び、その後継者日野正一先生に学んだ。
■19才、植芝盛平先生の下に入門、合氣道を学んだ。(のちに最高段位拾段をゆるさる)
■23才より4年間、慶応義塾大学卒業と同時に、宇都宮の東部36部隊に入営、少尉となって中支に派遣される。弾丸雨飛の中で、スポーツの試合と実戦の場が如何に異なるかを身もって体得する。試合は生命に別状ないが実戦では寸刻の氣のゆるみが死を意味する。このとき、臍下の一点に心をしずめる秘訣を会得した。
■終戦後、再び禅、みそぎの修行に打ち込む、また、自己の体験から会得したことを検討しつつ合氣道を修行した。
■1953年より1979年の間に22回渡米し、ハワイ州を始めとして米国20州に合氣道を普及する。
■1971年9月16日、心身統一道・氣の原理を特別に教えるため「氣の研究会」を組織し、会長となる。
■1974月5月1日、「心身統一合氣道会」を設立、会長となる。
■1980年4月10日、文化がすすみ、経済が豊かになるにつれ病人が増える現代の世を憂い、人間本来の生命力を発揮させ、人類の健康保持増進を願って、「氣圧療法学院」を開校、院長となる。
■1981年1月20日、日本は云うに及ばず、全世界の人がプラスの心の持主となり、悩みや苦しみをとり除き、明かるい平和な社会をつくることを非願して「氣の原理実践会」をつくり宗主となり、普及活動に入る。
■1983年4月8日、「心身統一合氣道学院」を開校、院長となる。
■1985年9月1日、オランダに「オランダ氣圧療法学院分院」を開校する。
■1986年4月8日、「関西氣圧療法学院」を開校する。