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高原喜八郎(たかはら きはちろう)

米国法人野口英世記念財団のHP内のページより

高原喜八郎博士が「国際アカデミー賞」受賞
ガン予防・治療と倫理普及に功績

梶川毅 著、高原喜八郎 監修「生命活性アガリクスでガン速効全快!!」(ライブ出版、2002年11月12日 出版)

高原喜八郎 著「がんに立ち向かうもう一つの選択肢―超早期発見と総合免疫精神療法でガンに克つ」(現代企画;リム出版新社〔発売〕、2002年10月18日 初版第1刷)より

昭和2年東京生まれ
昭和19年4月 東京帝国大学付属医学専門部 入学
昭和24年3月 東京大学付属医学専門部 卒業
昭和24年4月 国立東京第一病院実地練習生 採用
昭和25年3月 国立東京第一病院実地習練生 終了
昭和25年8月 第八回医師国家試験合格
昭和35年2月 医学博士
昭和41年5月 米国シカゴ市マイクロリース病院研修生(第一次、1年6ヶ月)
昭和44年5月 米国シカゴ市マイクロリース病院研究生(第二次、1年6ヶ月)

職歴
昭和25年9月 財団法人結核予防会結核研究所医務嘱託
昭和33年4月 国立東京医科歯科大学医学部生化学教室文部教官助手
昭和35年4月 国立東京医科歯科大学医学部附属病院中央検査部文部教官講師
昭和37年9月 日本専売公社東京病院検査科医長
昭和49年4月 神奈川県立衛生短期大学 教授
平成3年4月 学校法人大東文化学園大東医学技術専門学校 校長
平成7年4月 学校法人大東文化大学 学校医・非常勤講師
平成7年10月 医療法人八香会 湯村温泉医院 内科医師
平成9年6月 医療法人三矢会 佐野外科医院 副院長・内科医師
平成10年4月 学校法人大東文化学園 産業医・学校医
平成12年6月 西新宿クリニック院長

所属団体
・日本臨床検査医学会功労会員・同学会認定 臨床検査医
・日本総合健診医学会名誉会員
・日本臨床化学会有功会員
・日本臨床検査自動化学会名誉会員
・アメリカ臨床化学会正会員
社団法人倫理研究所 副参事・指導員

◎本書に関するお問い合わせ先、西新宿クリニック

《186〜187ページ》
●「倫理の集いは、他の療法に匹敵する」という声も
佐野外科医院の精神療法の一環として、毎週一回、「倫理の集い」を行っている。講師は、私。倫理研究所の会員を増やすことが目的ではないので、心にいいと思われることはあらゆる話題を話すようにしている。
しかし最初は、首を傾げる患者さんもいなくはなかった。
「治療を受けにきたのに、なぜ精神訓話みたいなものを聞かされるのか」
という単純なものから、
「宗教に勧誘されるのではないか」
といった猜疑心を含んだものまでさまざまである。
もちろん倫理は宗教ではないし、勧誘したいわけでもない。倫理の教えに基づいた生活をすることが、健康回復につながるからである。
(略)

北川永志+現代書林特別取材班 編「ガン臨床医17人の証言 私が「メシマコブ」を使う理由―驚異の抗ガン効果とその医学的根拠」(現代書林、2002年8月13日 初版第1刷)より

(7) 高原喜八郎院長・西新宿クリニック
 肺ガンでは「メシマコブ」は第1選択。あらゆる可能性から「ガン勝利者」への道を探る

1927年、東京都生まれ。医学博士。東京大学付属医学専門部卒業。東京医科歯科大学講師、日本専売公社東京病院検査科医長、神奈川県立衛生短期大学教授、大東文化学園医学技術専門学校校長、医療法人三矢会佐野外科医院副院長を歴任し、2000年に西新宿クリニックを開院。早期発見・早期治療をガン治療の根幹にして、免疫的治療を行っている。

高原喜八郎 著「がんの超早期発見と末期がんからの生還」(光雲社;星雲社〔発売〕、2002年3月12日 初版)より

昭和24年3月 東京大学医専部卒業
昭和25年3月 国立東京第一病院実地習練生修了後 医師免許取得
昭和33年4月 東京医科歯科大学生化学教室助手
昭和35年4月 医学博士学位取得 東京医科歯科大学附属病院中央検査部講師
昭和37年9月 日本専売公社東京病院検査科医長
昭和41年5月 米国シカゴ市 マイクロリース病院研究生
昭和44年5月 米国シカゴ市 マイクロリース病院研究生終了
昭和49年4月 神奈川県立衛生短期大学教授
平成3年4月 大東文化学園医学技術専門学校校長
平成9年4月 医療法人三矢会佐野外科医院 副院長、内科医
平成11年12月 人間ドック学会認定医
平成12年6月 西新宿クリニック開院、院長、現在に至る
所属団体
日本臨床検査医学会功労会員・同学会認定 臨床検査医
日本総合健診医学会名誉会員
日本臨床化学会有功会員
日本臨床検査自動化学会名誉会員
アメリカ臨床化学会正会員
学校法人大東文化学園 産業医・学校医
社団法人倫理研究所 副参事・指導員

推薦のことば
東京女子医科大学第一外科教授 横山正義

《95ページ》
■がん治療の革命児・佐野鎌太郎医師との出会い
ここで簡単に、私と佐野医師の関係について触れておきたいと思う。
佐野医師は、私が院長をつとめる西新宿クリニックの名誉院長をしてもらっているが、それとは別に山梨県甲府市にある佐野外科医院の院長をしておられる。
初めて佐野医師と出会ったのは、甲府にある某温泉病院においてだった。私はもともと臨床検査を専門とする医者だったが、がん治療の現場においては、三大治療の限界を感じると共に、代替医療に希望の光を見出していた。佐野医師とその温泉病院で出会ったのは、ちょうどそんな時期だった。

《113ページ》
■佐野医師という人
佐野医師は、現在、無認識で無知で悪意に満ちた医療行政のおかげで、大変な苦境に立たされている(詳細は後述)。(略)
佐野医師の非通常型治療に具体的に触れる前に、まずはこの佐野医師について触れておこう。

《116ページ》
■衝撃を受けたアメリカの「栄養療法」
通常型治療の限界にジレンマを感じていたときに出会ったのが、医療ジャーナリスト・今村光一氏が書いた『末期がんも栄養療法で治る本』という本だった。
その本に記されていたのは、アメリカの医療現場で行われている「栄養療法」によってがん患者が次々とがんを克服しているという事実であった。
西洋医学を学び信じてきた佐野医師にとって、この書物は、あまりにも衝撃的だった。(略)

《131〜132ページ》
■保険医の資格剥奪!
こうした風潮の中で、佐野医師は苦労している。
もちろん、そんなことなど、非通常型治療を始めたときから覚悟されていたことだろうし、すでに充分に様々な無理解に悩まされて来たはずだ。
しかし、佐野医師の医療を足元から打ち砕くような衝撃的な出来事が、2000年に起きた。
なんと、行政が「保険医の資格剥奪」という処分を行ったのだ! これは、医者にとっては致命的な仕打ちである。
もちろん、何一つやましいことはしていない。(略)

《138〜139ページ》
■非通常型治療に対する行政と医師会の高い壁
さて、ここで最初の問題に戻ろう。どういう経緯で、佐野医師は「保険医の資格剥奪」という行政処分を受けたのか。
まず、佐野医師が1990年に自腹を切ってアメリカの非通常型治療を学んで帰ってきた後、初めに実践しようとしたのがゲルソンの栄養療法であった。もちろん、保険適用外の治療である。
佐野医師は、医師会と相談し、県行政の厚生課にも指示を仰いだ。当然、壁は高かった。特に、医師会の反応が冷たい。
(略)
そうした四面楚歌の中で、突破口を開いてくれるきっかけとなったのが、ある県会議員と代議士であった。行政・医師会と佐野医師の間に入って、仲介してくれた。
(略)
■突然入ってきた行政の「個別指導」
ところが、仲介に入ってくれたその代議士が選挙で落選したとたんに、状況が大きく変化した。
突然、行政の個別指導が佐野医院に入ってきたのである。要するに今の非通常型治療を主体とした医療方針を止めなさいというのだ。
(略)