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竹熊宜孝(たけくま よしたか)

竹熊宜孝 著「いのち愛おし」(地湧社、2002年3月20日 出版)

安部周二 著「いのち一番―公立菊池養生園診療所長竹熊宜孝・聞書」(西日本新聞社、2000年5月1日 出版)

竹熊宜孝 著「いのち一番金は二の次―人と地球の養生語録」(地湧社、1995年4月16日 出版)

竹熊宜孝 著「米とかあちゃん─粗末にするとバチかぶる」(家の光協会、1991年1月5日 第1版)より

昭和9年、熊本県山鹿市に生まれる。昭和35年、熊本大学医学部卒業。昭和40年、熊本大学大学院卒業。医学博士。専攻は内科学・血液学。熊本大学講師を経て、昭和50年4月より公立菊池養生園診療所所長として現在に至る。絶食療法は甲田光雄医師、東洋医学は韓国の鮮干基(ソンヌキ)医師に師事する。日常の診療活動のかたわら、養生説法、講演に活躍。熊本弁のユーモアあふれる話術は評判を呼び、全国から一万人以上の人が養生園を訪れている。愛称はクマさん。自ら有機農業を実践し、「医は農に、農は自然に学べ」をモットーにしている。
著書に『土からの医療』(第一回熊日新聞社出版文化賞受賞)『土からの教育』『鍬と聴診器』『田舎一揆』(以上、地湧社)ほかがある。

竹熊宜孝 著「田舎一揆─病める大地に立って」(地湧社、1989年7月15日 初版)より

昭和9年、熊本県山鹿市に生れる。昭和35年熊本大学医学部卒。1年間、立川共済病院にてインターン。昭和40年、熊本大学大学院卒。医博。専攻、内科学・血液学。昭和40年より1年半琉球政府立中部病院勤務。その後、熊大医学部助手を経て、昭和49年3月まで講師。昭和50年4月より、公立菊池養生園診療所々長として現在に至る。昭和55年、『土からの医療』で第一回熊日新聞社出版文化賞を受賞する。
著書『土からの医療』『土からの教育』『鍬と聴診器』『土からの養生読本(上記の三冊セット)』(地湧社刊)
共著『地域主義』(学陽書房刊)『健康とたべもの(上・下)』(熊日新聞社刊)他

《11ページ》
もともと、現代医学を型どおり学び、研究生活も人並みのことをやり、あとは勤務医になるか開業医になるかと考えていたころ、私は自らの不養生がたたって、肝臓病、肥満症(163センチ・74キロ)、糖尿病、高脂血症、アレルギー性鼻炎、蓄膿症、肋間神経痛、偏頭痛、じんましん、便秘症、痔等、書くのも恥ずかしいぐらいに病気をもつ身になっていた。

《12ページ》
ある時、町医で漢方と食養の老大家、小川糺医師に、「あなたは、肥料のききすぎだ。断食でもして肥料ぬきをやれば、病気はすべてよくなる」と示唆を与えられた。最初は本気にしなかったのであるが、私の友人が同じようなケースで、半年もしないうちに健康をとりもどしたことを知っていたので、半信半疑、こわごわと断食の決断をし、大阪八尾市の開業医、甲田光雄先生の門を叩き、10日間の断食を行ない、その前後約一カ月の修業をしたわけである。
その結果、体重は10キロ減少し、異常値を示していた生化学的な検査はほとんど正常化し、アレルギー性鼻炎やじんましんがうそのように消えた。

《13ページ》
断食中に砂糖の害を学び、食品添加物や農薬の恐さを知り、玄米食の効用を体得した。これらは、われわれが学んだ医学の常識とはまったくかけはなれた別次元のことであった。しかし同時に指導をうけていた難病の患者さんたちが、日に日によくなっていくのをみて、現代医学の盲点を知らされる思いがした。さっそく砂糖断ち宣言をやり、玄米菜食実行、食品添加物追放、小食、ここまではなんとかすぐにでも実行ができたが、あとは安全な農畜産物の入手が問題となった。