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八木田旭邦(やぎた あきくに)

がん 健康食品ブームの裏で(NHK クローズアップ現代 No. 2115、2005年7月19日 放映)より

ナレーター:その後、菊地さんは以前クリニックに勤めていた医師から、思いもよらぬことを告げられます。
新免疫療法でがん消滅! ―オ−ダ−メイド治療があなたを救う」(イ−スト・プレス、2003年2月17日 出版)を映しながら)
ナレーター:八木田医師が発表していた治療効果を示すデーター「奏功率」は医学会の基準に沿って出されたものではないというのです。「奏功率」は治療を受けた患者の内、がんの大きさが半分以下に縮小した人がどれだけいるかを示すものです。日本癌治療学会では奏功率を出す時、原則としてCTなどで画像を撮ってがんの縮小を確認するよう定めています。しかし、八木田医師は画像を使うことはほとんどなく、血液検査で判断していたというのです。検査では腫瘍マーカーというがん細胞が作る物質を調べていました。腫瘍マーカーの値はがんの大きさに関係なく変化することがあるため、通常はあくまでも補助的に使われるものです。八木田医師は主にこの方法で出したデーターを奏功率として50%を超える人に効いたなどと発表していました。通常の抗ガン剤治療と比べても極めて高い値としています。NHKの取材に対して八木田医師は、画像を何度も撮るのは患者の負担になるため日常的に使っている腫瘍マーカーを用いたなどと説明しています。
八木田医師:私は臨床家です。患者さんを治すのが仕事です。データーを科学的に出すことが仕事じゃないんです。悩んでいる末期の患者さんに可能性をね提供したい、という気持ちがですね、多かったんですね。で、確かに一人一人の患者さんを診ても、それくらいの有効率はあるんじゃないかっていうふうに私はそう思ってましたしね。
ナレーター:一昨年の12月、菊地さんは八木田医師を相手取り裁判を起こしました。八木田医師が手術の必要性を十分説明しなかったため標準的な治療の機会を奪われたと主張しました。これに対して八木田医師は手術が必要なことを説明し、菊地さんも十分理解していたと主張しました。また、菊地さんがクリニックに来ない時期があり、その間に病状が悪化したと主張しました。裁判を起こして3ヶ月後の去年2月、菊地さんは亡くなりました。乳がんは肝臓や脳、肺に転移していました。先月下旬、裁判所は八木田医師側におよそ五千万円の支払いを命じました。判決では治療効果が高いとしたデーターは医学的に不正確で誤解を与えると指摘。更に、治療法についての説明が不十分だったために、菊地さんが手術を受ける機会を逃し、その結果亡くなったことも否定できないと結論付けました。
国谷キャスター:八木田医師は判決に不服があるとしまして東京高等裁判所に控訴しています。

新免疫療法訴訟:元教授らに5千万円の賠償命令 東京地裁(毎日新聞、2005年6月23日)

独自がん治療の大学教授を事情聴取へ 日本癌治療学会(朝日新聞、2004年8月18日)

「新潮45」(新潮社、2004年6月号)「奇蹟のキノコ」アガリクスの正体(鳥集徹)より

サメの軟骨やキノコを原料とした健康食品を使う「新免疫療法」という特殊な治療を行い、『新免疫療法でがん消滅!』(イースト・プレス)などの著作で患者を集めている近畿大学腫瘍免疫等研究所教授の八木田旭邦医師もその一人だ。「奏効率54%」などとうたった説明を信じたために手術機会を失ったとして、この治療を受けていた患者(今年2月に死亡)や家族から昨年12月に損害賠償を求める訴えを起こされている。
02年1月から03年5月まで、八木田氏が開業しているオリエント三鷹クリニックやオリエント横浜クリニックに常勤医として勤務していた梅澤充医師が、八木田氏の患者データを分析したところ「奏功率54%」という数字はまったくのデタラメだったという。
(略)

八木田旭邦 著「末期患者でも、希望が持てるガン治療―進化を続ける「新免疫療法」の軌跡 あきらめるな!進行ガン・末期ガンでも闘える」(現代書林、2004年8月15日 出版)

八木田旭邦 著「新免疫療法でがん消滅! ―オ−ダ−メイド治療があなたを救う」(イ−スト・プレス、2003年2月17日 出版)より

第2章 新免疫療法、3本柱の秘密(キノコの多糖類が人の免疫力を強化する;ベターシャーク、これまでになかった抗がん作用;再発見・生命細胞を活性化するビタミンパワー;低副作用で効果激烈な新制がん剤がみつかった)

八木田旭邦 著「ガン細胞が消えた2―さらに進化した新免疫療法」(二見書房、2001年2月25日 初版)より

医学博士。
1944年岩手県生まれ。青森県立八戸高校を卒業。1970年慶応大学医学部卒業後、同年慶応大学附属病院外科助手、1976年社会保険埼玉中央病院外科医長、1980年杏林大学附属病院第一外科講師、1995年同病院助教授および保健センター長となる。1997年オリエント三鷹クリニック開設、1998年近畿大学腫瘍免疫等研究所教授となる。
現在、東日本炎症性腸疾患フォーラム世話人(幹事)、日本大腸肛門病学会評議員、日本臨床外科学会評議員、日本消化器学会評議員、日本臨床免疫学会評議員、日本大腸検査法研究会評議員、厚生省の炎症性腸疾患調査研究班班員として活躍。
著書に『新外科学体系』(共著・中山書店)、『新しい癌免疫化学療法の指針』(医薬ジャーナル社 佐治重豊、峠哲哉編)『若者の腸が危ない』(ハート出版)、『ガン細胞が消えた』(二見書房)、『ガン患者新たなる選択』(メタモル出版)、『新免疫療法でガンを治す』(講談社)他多数。

八木田旭邦 著「新免疫療法でガンを治す」(講談社、1999年12月10日 第1刷)より

1944年、青森県生まれ。慶応義塾大学医学部卒業後、同大学病院、社会保険埼玉中央病院、杏林大学付属病院などを経て、97年にオリエント三鷹クリニック開設、98年に近畿大学腫瘍免疫等研究所教授となり、現在に至る。88年に炎症性腸疾患という難病の原因を世界ではじめて明らかにし、その動物モデルの作成に成功。患者の治療にあたるかたわら、新免疫療法の開発と臨床、講演活動などに多忙の日々を送る。著書に、『新外科学大系』『ガン細胞が消えた』などがある。

八木田旭邦 著「免疫療法の最前線 ガン細胞が消えた」(二見書房、1997年2月25日 初版)より

医学博士。
1944年、青森県に生まれる。1970年、慶応大学医学部卒業。同年、慶応大学付属病院外科助手、1976年、社会保険埼玉中央病院外科医長、1980年、杏林大学付属病院第一外科講師、1995年、同病院第一外科保健学部保健センター長、助教授となり現在に至る。
外科医として患者の治療にあたるかたわら、関東若手癌免疫研究会代表世話人、東日本炎症性腸疾患フォーラム世話人(幹事)、杏林IBD希望の会顧問、日本大腸肛門病学会評議員、日本臨床外科学会評議員、日本消化器学会評議員、日本臨床免疫学会評議員、日本大腸検査法研究会評議員、厚生省の炎症性腸疾患調査研究班班友として活躍。
1988年に炎症性腸疾患という難病の原因を世界で初めて明らかにし、その動物モデルを作成して以後、この分野の第一人者として研究および講演活動に多忙の毎日。著書に「新外科学体系」(共著・中山書店)他多数。

八木田旭邦 著「若者の腸が危ない」(ハート出版、1997年2月26日 第1刷)より

医学博士
1944年、青森県生まれ。1970年、慶応大学医学部卒業。1976年、社会保険埼玉中央病院外科医長、1995年、杏林大学付属病院第一外科保健学部保健センター長、助教授となり、現在に至る。
東日本炎症性疾患フォーラム世話人、日本大腸肛門病学会評議員、日本臨床外科評議員、日本消化器病学会評議員、日本臨床免疫学会評議員、日本大腸検査法研究会評議員、厚生省の炎症性腸疾患調査研究版班友。
1988年に炎症性腸疾患という難病の原因を世界で初めて明らかにして以後、この分野の第一人者として活躍中。