[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

白髪に償い重く、閉廷後にいったん収監 元地産会長・竹井博友被告に実刑判決

1992年4月27日
毎日新聞 夕刊

 七十一歳になる白髪の文人実業家に、実刑が告げられた。元地産会長の竹井博友被告。その「史上空前の脱税」に、東京地裁は二十七日の判決で、重い償いの道を示した。仕手筋への資金源としてバブルを演出し、自らも踊って株取引で巨利を得ながら、そっくり申告しなかった竹井被告。一代で世界六位の資産(米経済誌)を築き上げた富豪の裏面だった。必死に訴えた「改しゅんの情」も裁判官に通じなかったばかりか、閉廷後にいったん収監され、険しい晩節が待ち受ける。
 「被告人を懲役四年に処する」。午前十時、開廷。松浦繁裁判長が宣告した判決主文に、執行猶予は付かなかった。
 グレーのスーツ姿は、やややせたのか、以前に増して細く見える。右手にステッキをつき、終始、伏し目がち。入廷の際、裁判長に深々と一礼した後は、左手をズボンの折り目にピタリとつけたまま直立不動で判決に聞き入った。
 判決理由の朗読に入っても竹井被告は、時々体を少し前後に揺らしながら、直立のまま。首をうなだれるように、前の机に視線を落とし、松浦裁判長から「脱税額は庶民には思いもよらない額。多くの国民は驚きと怒りを感じると思われる」「特定の仕手筋の人物と結び付いた利益獲得の方法は不健全、不公正なもので、社会非難に値する」との厳しい言葉を次々と受けた。
 ただ一度、同裁判長が動機の評価で、竹井被告側の美術館設立や交際費のためとする主張を「漠然としている」と退けた際、竹井被告は顔を起こし、眼鏡を指で持ち上げ裁判長を見つめた。
 最後に松浦裁判長が「重い判決になったかもしれませんが、やむを得ません。美術館設立の志はよかったかもしれないが、せっかくの名画が曇るようなことが行われたのは裁判所としても残念です」と述べると、竹井被告は、もう一度裁判長に頭を下げた。
 竹井被告が光進代表の小谷光浩被告(54)と知り合い、便乗した株売買を始めたのは一九八七年。翌年までの二年間で、五十六億円以上ももうけ、そっくり申告しなかった。右翼が「竹井が国際航業株の売買で大もうけした」と街頭宣伝したときには、暴力団組長に四億円を渡して抑えさせた。捜査が周辺に及ぶと、株の名義人に取り調べのリハーサルをさせるなど証拠隠しの工作もした。
 しかし、裁判になってからは、一転して罪を認め、「余生を世の中のために尽くしたい」と訴え続けた。高齢だけに、実刑判決だけは避けたかったからだ。
 修正申告をして脱税額の三十四億円と重加算税などを完納した。十億円の寄付金を日本赤十字社などに贈った。
 しかし、判決は「反省の思い」よりも「罪の深さ」を重視した。脱税事件の多発と大型化に伴い、厳しい姿勢を強めてきた司法の流れ。その中では、「史上空前の脱税」が実刑を免れる道はなかった。