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第1章 健康を回復・促進させ、能力を開発するレイキ・ヒーリング
1 レイキ・ヒーリングとは何か?
レイキ・ヒーリングとは一言で言うと宇宙エネルギーと繋がり、生命エネルギーの活性化をはかり、生体内のエネルギー・バランスを調整する方法です。完全なる能力開発の方法であり、健康法であり、癒しの方法であり、医療ではありません。
(略)
2 レイキの創始と伝承
■悟りとシンボルの啓示
(略)
19世紀の半ば、臼井甕男(1865〜1926)は、生命の本質と生命エネルギーの活用の方法を求めて世界中を探索し、研究を重ねていました。そしてあるとき、彼は古い仏典の経文の中にあったサンスクリット語で書かれたマントラとシンボルを発見したのです。ついに解明の糸口をつかんだのです。
「鞍馬山に行き、21日間の瞑想と断食を行いなさい。そこで答えを与えられるであろう!」(略)
■レイキの誕生
臼井が啓示を受けたテクニックは、「レイキ(霊氣)」と名付けられました。
その後、鞍馬山を降り、7年ほどは京都の貧民窟で、生活に疲れ心身共にボロボロになった人たちの治療に専念し、難病を癒して生きる勇気を与えてきました。やがて、京都を離れ、大正11年に東京・青山に学会を設立。大正14年には東京・中野に移転拡大しています。その名声は素晴らしく、レイキの創始者というだけではなく、「手当療法の中興の祖」とも仰がれました。(略)大正15(1926)年3月9日、旅先の広島県福山で、62歳の天命を閉じました(ちなみに臼井は、慶応元年8月15日、岐阜県谷合村で生まれています)。
(略)しかし、彼の死と戦後のどさくさのため、レイキは一時発祥の地日本から姿を消すことになります。
(略)
■レイキの二代目継承者、ハヤシ・チュウジロウとハワヨ・タカタの出会い
臼井と共に手当療法の全盛時代を彩った門下生の一人に、ハヤシ・チュウジロウがいました。(略)元々は軍人でしたが、臼井からレイキを学んだ後、戦前まで東京・信濃町でレイキのクリニックを開き、活躍しました。
このハヤシの治療によって奇跡的な治癒をした一人にハワヨ・タカタ(1900〜1980)という女性がいます。彼女は日本人を両親に持つ、ハワイ生まれの女性でした。(略)そして、自分を死の床から救ってくれたレイキの素晴らしさに感激し、後にハヤシからレイキ・マスターの訓練を受けたのです。
3 レイキの海外事情
■タカタ女史によりレイキが海外に普及
元気になったタカタ女史はハワイに戻り、レイキ・ヒーリングを始めます。
(略)
現在、「レイキ」は、ハワイ・アメリカ本土・カナダ・ドイツ・オーストラリア等ですごい勢いで伸びています。アメリカではその数が数十万人を超えていると言われています。しかし、故郷である日本ではあまり脚光を浴びることなく、海外から逆輸入される形で、最近になり急速に注目を浴びることになりました。